Nalani Goard公認インストラクターNoelaniハワイアンキルト教室
ハワイアンキルトの神様Aunthy Debbie Kakaliaの孫、
Nalani Goard公認インストラクターの教室です。
初心者からインストラクターを目指す方まで
一緒に楽しくレッスンします。
ハワイの伝統工芸でもあるハワイアンキルト。
ハワイの手法を使い、針を進めます。
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![]() ![]() ![]() 5月30日~6月1日 パシフィコ横浜で開催される 「第1回キルト時間フェスティバル in 横浜」 NOAのお店でお待ちしています! ![]() Noelani、Instagramにて 近況公開中! 生徒さんの作品なども載せてます。 ぜひご覧ください! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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![]() ![]() 南国的な色合いと大胆なデザイン・・・眺めているだけでしあわせな気持ちにしてくれるハワイアンキ ルト。その歴史はどのようなものだったのでしょう。 そのルーツは1820年代にさかのぼります。1820年4月、最初の宣教師を乗せた英国船がハワイ島のカイルアコナに到着。その時に初めてキルトが、糸、針、jはさみとともにハワイに持ち込まれました。英国には古くから衣服の余り布やはぎれを使って複雑なんデザインをつくる手芸がありました。船に積まれていた様々な色の歯切れを使ってその手法を習うため、ハワイの女性たちは船に招かれ、デッキに座りました。こうしてハワイでの初のキルト教室が開かれたのです。 最初のハワイアン・キルトは、宣教師がくれたはぎれで作ったパッチワークでした。しかし、ハワイのゆったりとした衣服は生地や布をそのまま使うため、はぎれが出ないのです。そこでハワイの創造性とアート感覚のある女性たちが、大きな布を使ってキルトをつくる手法を編み出したのです。 ある時、ハワイの女性がシーツを漂白するために芝生に広げて出かけ、ごとに帰宅すると白いシーツに木の枝が影を落とし美しい柄模様を描いていました。その美しさに心を打たれ、赤い布に模様を写しとり、白い布に重ねて縫い付けたのがハワイアン・キルトの誕生であると言われています。 キルトのデザインは昔から大事にされ、考案者の名は永遠に残ります。人のデザインを盗むことはタブーとされ、その罪を犯した者は社会的に追放され、盗んだ歌まで作られ辱めを受けたそうです。 キルトがハワイに伝わっておよそ100年後、1915年1月21日アンティー・デビー・カカリア(Aunty Debbie Kakalia)は、オアフ島のホノルルで生まれました。1950年代から身につけていたアメリカン・キルトの手法を活かし、独自のハワイアン・キルトの技法を編み出します。7人の子どもを育てながら、やがてこの道の達人となり、1970年初めにはハワイ大学で「The Art of Hawaiian Quilting with Kepola」という講義でキルトを教え始めました。 1975年にはビショップ博物館に定例のキルト教室を設け、1976年に「Hawaiian Quilting as an Art」を出版。世界中の多くの人々にハワイアン・キルトを広めオーストラリア、ニュージーランド、タヒチ、サモア、中国、日本、イギリスなどの国に出向き3,000枚以上のピローと75枚以上のベットカバーを作りました。2000年、孫のナラニー・ゴード(Nalani Goard)をパターンと教室の後継者にして引退。2002年3月19日、87歳のキルト人生を全うしました。 このようにしてハワイアン・キルトが広まりました。 |
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